能面 『雪鬼』考

発表者が〈雪鬼〉と思われる能面に出会ったのは、1997年2月、フィレンツェにあるシットベルト美術館での能面調査の時であった。それは、山に棲む鬼女山姥を主人公として、山姥の山廻りのさまを描く能《山姥》の、後シテのみに用いる特殊な面〈山姥〉とほぼ同じ形だが、眉が違うのである。ヤマアラシのような突き立った眉の〈山姥〉に対し、その面は小面(こおもて)や増女(ぞうおんな)などのような常の女面と同じく、高い黛が描かれていた。
その4年前の1993年、国立能楽堂第4回研究公演で、雪鬼の女(雪の精)をシテとする廃絶曲《雪鬼》を復曲上演した際、発表者は能本を作成し、この時は、清浄たる美しさを表現すべく、気品のある〈増女〉を用いたが、この面こそ室町中期の演出資料『舞芸六輪之次第』に「山姥のごとし」とある〈雪鬼〉の面につながるのではないかと直感し、日本では失われたと思われる能面がイタリアにあったことに驚いたのであった。

しかし帰国後、ここ数年の間に日本にも黛のある〈山姥〉の面がいくつか存在することを知り、また能面〈山姥〉に数種類の造形があることを確認した。山姥は、自らのことを「鬼女とは女の鬼とや、よし鬼なりとも人なりとも、山に棲む女ならば、わらはが身の上にてはさむらはずや」と歌っているが、曲の進むにつれて、山姥の山廻りするありさまを六道に輪廻する一切の宿命の象徴として描き、善悪不二、邪正一如と観ずるところの大乗的世界観を説く。
こにおいて山姥はたんに山に棲む姥というだけではなく、山の妖精か、または山そのものか、あるいは自然そのものともいうべき広がりを持った存在となる。このように、作品の主題が仏教的な哲理に基づくので、表象の手段も甚だ難しい。そして、このことは能面の造形にも及ぶ。ひじょうに強い鬼女といった相貌のものから、女面に近いものまであり、彩色も、赤黒い強々とした面から、白色に近い品のよい面まで、さまざまな作品が生まれたのである。

 一方、交野の雪鬼の女と業平との歌説話に基づいて創られた《雪鬼》は、降り積む雪が魂を持った雪の妖精の姿を詩情豊かに描く。「それ雪鬼といつぱ、もとより悪心の鬼にもあらず、年ふる雪の高根高根(たかねたかね)、深谷(しんこく)の岩間に凝り固まつて、おのづから化生(けしょう)の人体となる。その姿は女なり。女は人に見ゆること稀にして、一念深く怖ろしきなり。人に見えず恐ろしき心は、ただこれ鬼に似たればとて、女を鬼に譬へたり」という。この雪鬼の女の表象もまた山姥に劣らず難しい。両者には、妖精という共通点もあるが、山の精に対し雪の精という違いをどう表現するか。室町時代の面打ちたちは挑戦したはずだ。《雪鬼》の能が廃絶したこともあって、現在、確実な〈雪鬼〉の面は伝わっていない。しかし、さまざまな造形が伝わる〈山姥〉の中に〈雪鬼〉の源流につながりそうな能面の存在に気付いた。その一つが、シットベルト美術館などに伝わる高い黛のある〈山姥〉である。
そして、これまで〈山姥〉と伝承されてきた能面のうち、実はかつて〈雪鬼〉であったものが、後人により〈山姥〉に改造されたと思われる面も存在する。それは、雪のように白い〈山姥〉である。

本発表では、赤く美しい珊瑚色の彩色から白桃のような白い彩色まで、さまざまな〈山姥〉の造形の位相を整理しつつ、能面〈雪鬼〉につながりそうなシットベルト美術館ほかの黛のある〈山姥〉について検討し、能面〈雪鬼〉の源流を想定するとともに、能《雪鬼》の本然の姿に迫りたい。