Sainsbury institute and Keio University
日本美術研究関係図書資料の収集と専門図書館のコレクション構築-利用者の立場からの報告-

当地(ノリッジ)にあるセンズベリー日本藝術研究所(SISJAC)のリサセンズベリー図書館は、研究所としての性格から、日本美術に関する研究の用に供するための資料等の収集とその活用を目的として、SISJAC内に2003年に創設された。その経緯について若干の報告もしたいが、ここでは、主として、日本における日本美術専門図書館として1930年に開設された、現在の東京文化財研究所の現状と、その問題点について、利用者の立場から報告し、美術専門図書館の現在および今後のありかた、資料の収集の方針と公開・活用に関して考えたい。

東京文化財研究所は、近代日本洋画壇の先導者であった黒田清輝の遺言と遺産に基づき、西洋美術史研究の草分け的存在であった、矢代幸雄のヨーロッパ留学の経験から、日本にも美術図書館の建設が必要、急務であるとの要請が受け入れられ、帝国美術院付属美術研究所の発足として実現をみた。しかし、およそ80年に及ぶ年月を経る間には、時代の社会的な変化に伴う運営方針の変更、また移り変わる時代のなかで、使用者の側にもニーズの変化があり、一方、研究所自体が社会的なニーズに応えべきこととして、拡大発展的に、その体制や運営を内部から(あるいは外部の要請で)、改革、改変していったことが、実は果たして、適切なものであったと言えるか否か。というよりは、美術専門図書館としての機能の充実に繋がり得たのかの問題には、なお検討の余地があろう。

この問いは、独立行政法人となった現在の同研究所が引き続き抱える問題である。専門図書館のコレクション構築には、提供する資料が、当該研究のための資料として質的に高さを備えている必要がある。従って、資料収集にあたる研究職員は、専門領域をカバーするだけの、いわば研究的な、あるいは研究者としての高度な専門知識が必要であることはいうまでもなかろう。

昭和27年4月、文化財保護法の一部改正がなされ、東京文化財研究所が設置されることになり、美術研究所(美術専門図書館)は、東京文化財研究所の美術部(ほかに、芸能部、保存科学部が設置された)となった。この改正に対して、矢代幸雄は「考えようによれば、美術研究所が拡大に向かいつつある証拠に相違ないが、同時に、斯くの如き同一研究所における別部門の並設は、仕事上の集中性を欠くようになる憂いなきにしもあらず」といい、「名称が変わればその性質も違ったものになる」とも述べ、設立の主旨を確認することを政府に求めている。この矢代の主張は重要であり、高度な専門性と同時に対応の多様性は、求められるところであろうが、このポイントにおける時宜にかなった、誤りの無い舵取りこそが、専門図書館のコレクション構築には肝要であろう。

presentation